航空事故と運について
1 はじめに
「私がいる部隊は航空事故が起きない」「あの指揮官には事故がついてくる」そんな話をよく聞きませんか。航空事故は、起きるべくして起きるのか、それともそこには運というものが介在しているのか、そもそも運というものはなんなのか、はたして事故は防止できるのか。そんな疑問を抱いているのは、私だけなのでしょうか。 今回は、そんな疑問に答えるべく少々独善的ではありますが航空事故と運について考察してみたいと思います。
2 運とはなにか
たまたま、あの時あの場所にいなければあんな事にはならなかったのに・・・。なぜ、よりによってこんな時にアラート任務についたんだろう・・・。運が悪かったんだ・・と。人は身の回りに起こった不幸な事象に後悔の念を込めて、よくこういう風に表現します。
運とは、タイミングに関係があるようです。そして、運といっているものは物事が起こってしまった後に使われる、いわゆる結果論的なもののようです。人は、その結果がよければ、運が良かったといい、悪ければ運が悪かった、あるいは、そうなる運命だったなどと言われるもののようです。
運命は最初から決まっているのではなく、結果からさかのぼってその原因となった確率的な事象をただ”運命だった”と後になって勝手に解釈されるものなのです。
3 確率の揺らぎ
私はよくパチンコをやりますが、みなさんパチンコ屋でこんな風景を見かけたことはありませんか。大当たりが出ているパチンコ台は店全体で均等ではなく、ある場所でかたまっている。また、ある時間帯になると大当たりが一斉に出始める。これは決して店が不正に台を操作しているのではなく、「確率の揺らぎ」という現象が生起しているためです。
確率の低いものほどこの現象は顕著に現れます。簡単に言えば、確率的な事象は均等に起こらずある場所や時間帯に集中して発生するというものです。
確率が均等ではない?と不思議に思われた方もいるかと思いますが、確率自体は均等なのですが、結果として生起する事象が波のように強弱(不均一)を生じさせるのです。確率の世界では、均一な事象は異常であって、不均一(ランダム)な事象が正常なのです。
宝くじが何度も同じ人に当たる強運の持ち主はこの確率の揺らぎがもたらしたものといえるでしょう。生起する確率が極めて低いはずの航空事故が何度も続いて発生するのも確率の揺らぎがいたずらしているのかもしれません。
このように、実際は数学的に論理づけられた現象も、見た目には何か神秘的に見えるものなのです。そして、それを人は運と呼びます。
4 運は変えられるのか
運というものが、あらかじめ決まったものではなく後から遡って判断されるものである以上、運を変える変えないといったこと自体無意味になってしまいます。要は、結果次第ということですから。
ある不幸な事象が発生したとします、しかしその事象にうまく対処してそれがよい結果に導かれた場合はどうでしょうか。第一の事象は確かに運が悪かったと言えますが、結果的には運を変えてしまったと言えるのではないでしょうか。
5 事故は防止できるのか
最近の痛ましい一連の航空事故の発生は運とか確率の揺らぎとかで判断すべきものではありません。そこには、何らかの原因があり、いくつもの副因が重なって不幸にも事故に結びついてしまったものです。何重にも張り巡らされていた事故を阻止するはずの数々の安全対策をすり抜けて・・・。
たまたま運悪く、ある事象に遭遇したとしましょう。確かに第一のシーンは運命(単なる確率)だったかもしれません、しかしそれに対処するのは個人あるいは組織としての緊急事態対処能力であり不断の安全管理活動であります。
運命があらかじめ定められたものでない以上事故の発生防止は当然可能であります。最終的に最悪の事態に陥らないように我々は万全を尽くさなければならないのです。
ただ、残念なことに事故の発生を皆無にすることは不可能です。しかしながら、努力によってこの確率を引き下げることは不可能ではありません。少なくとも、無知や教育不足によって事故をくい止めることが出来なかったなどという事だけは避けなければなりません。
6 おわりに
以上、極めて一方的で私的に運というものを考えてきました。一見神秘的に見える運も実は単なる数学的な確率事象にすぎないようです。
何重にも張り巡らせた事故防止施策をたまたますり抜けて発生した事故を運命と呼ばせないように、安全管理活動を確実にやっていこうではありませんか。運も実力のうちです。実力を付けて運を味方に引き入れたいものですね。
ところで、あなたは運命を信じますか?